修験道大切な思い

山伏の山修行と一般登山は違います。

「○○山に登りましたよ‼️」

「昔登山部でした‼️」

「○○山の○○メートルをひたすら歩きました‼️」

 過去の話やこういう話を山修行に照らし合わせてくる人いるんだけど全然共通しないです。むしろ困ります。修行と遊びは違うんです。

「修行と思って登ってます‼️」

「生涯修行‼️」

いえいえ違います。明確になってないし『○○のつもり』で終わってます。

 山伏になるのってきちんと手順があるんですよ。

 修験道を主体にし、真言宗派もしくは天台宗派に属している本山とその末寺の『師僧』について本山で『得度』というお坊さんになる儀式を受けてさらに山伏の袈裟である『結袈裟 ゆいげさ』を着用する許可状が本山から頂くことで初めてなれるんですよ。

 山伏の装束『鈴懸 すずかけ』や『結袈裟 ゆいげさ』を勝手に着けて山で修行してもただの『ニセ山伏』です。

 お経は基本中の基本。素人さんが勘違いするのは山伏はひたすら山の中を歩き続けるという部分。山で修行するお坊さんだからお経が唱えられないと何の意味もないです。全てはお話できませんが、修行場や参拝場所でお経をお唱えしては次の場所へ移動してまたお経という繰り返しです。だから先にお経の練習を徹底的にしてから山修行へという順番です。

 山修行以外にも護摩やその他の修行もたくさんあります。

 今回は山修行についてなので本題を戻しますが、僕がやっている山修行は一生涯やっていくことです。山修行は登山口から山頂にある上宮へ向かう際は母親の母体へ戻り浄土へ戻る、下山の際は浄土から母体、この世へ再び生まれ変わり戻るという意味があります。だから『ただ楽しい登山、ハイキング』ではないのです。

で、これも話したいのですが、

「法螺貝の吹きかたを教えてください」

なんて言ってくる人がいます。

返事は『NO❗』です。修験道は密教です。勝手に教えると破門になるので作法の内容は一切教えられません‼️

 しかしそれを分かっていて言ってくる人もいます。

「分かっていてお聞きしました。でも瀬口さんなら教えてくれると思ったので…」

もちろんお断りです。嫌です。

 分かっているなら尚更自分が悪いことをしているのに気がついてほしいものです。こういうのを悪意って分かっていない証拠です。

 あまり普段はこういった話はしないけど修験道ってとても奥が深いんですよ。

 今回はかなり厳しい文章も書きましたが、これは僕がどれだけ修験道を大切にしているかを知ってほしい思いをつづりました。

 


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山伏のお寺&整体院

本山派修験宗聖護院門跡末寺 菩提山 瑞光院の住職 瀬口一幢(せぐちいちどう)と申します。 バランス整体アトリエ椿の院長もやっております。 よろしくお願い致します。