僕が修行に行く求菩提山にはたくさんの山伏の住居後があります。これを『坊-ぼう』と呼びます。昔はここに500坊、約1000人の山伏とその家族が住んでいました。
坊跡は山の至るところに石垣があります。昔はその上に住居がありました。特に求菩提山のトップ『座主-ざす』の住居はとても大きく座主坊までの道には石畳が敷かれています。
山伏ってひたすら修行をしているイメージがあるでしょ?実は優れた技術者の集団で武道、建築、土木、農業、医療、天文、工芸、何でもこなす凄い人なんです。
求菩提山はその昔、高級食材だった『氷』を製造していました。冬になると積もった雪をある程度の大きさに踏みかため『室-むろ』と呼ばれる石造りの蔵で保存します。
夏が稼ぎ時です。中津城のお殿様から氷の注文があると『それ急げ‼️』と言わんばかりに大八車に氷を乗せて走る。こうやって山の仲間、家族のために頑張っていたんでしょうね。
薬学にも山伏は優れ、草木を使った薬草の他に石灰などの石薬も使った効果の高い薬も製造したり、さらには置き薬の元祖も山伏でした。諸国を訪れる修行の際、檀家になっている自宅へ御札や薬を届けることもやっていました。
ここで前の年に置いていった薬を確認してそれを檀家さんが飲んでいれば、飲んだ分の料金を支払ってもらい、新しい薬を補充していきました。
諸国の修行や茶葉、絹などの献上品を届ける時などその国の工芸品や装飾品を自分の奥さんにお土産として買って帰るなどほっこりするエピソードもあります。
国を廻るのでありとあらゆる情報も持っていました。情報戦では山伏を味方につけそこから情報収集をする国主も多かったようです。
島原の乱では鎮圧の一軍として求菩提山の山伏にも出兵命令が出て長崎に出兵しています。刀、弓、槍、どの武器も軽々使いこなす山伏ですからきっと同時に出兵した宮本武蔵も驚いたでしょうね。
こんな感じで求菩提山を歩くと先輩山伏が作ったものが幾つもあり当時の生活を思い起こさせてくれるので楽しみながら修行しています。
山伏のお寺&整体院
本山派修験宗聖護院門跡末寺 菩提山 瑞光院の住職 瀬口一幢(せぐちいちどう)と申します。 バランス整体アトリエ椿の院長もやっております。 よろしくお願い致します。
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